(ずがわり・ごきゃくひとくみ)
粟田口焼結び文型三足向付
(図替わり・五客一組)
-希望販売価格-
金25万円
応相談
※販売価格は基本・内税
販売中
一客の寸法
高: 3.9cm前後
縦:12.9cm前後
横:20.5cm前後
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京風の洒落た意匠が施された、[京焼]ならではの「柔らかいはんなりとした趣」が感じられる[粟田口焼]の向付〔図替わり〕五客組です。
[粟田口焼]は、京都で作られる日本の陶磁器・[京焼]の一種です。
[粟田口焼](粟田焼)は、京都・粟田口一帯で産する陶器で、表面に細かい貫入があり、[京焼]様式を伝える色絵を施していることが特徴とされます。
[京焼]という言葉が始めて記録に登場するのは慶長10年(1605)のことで、博多の商人神屋宗湛(1551~1635)の日記に「肩衝 京ヤキ」が茶会に使われと記されています。
ただし、近年の研究では、[京焼]の生産は慶長年間(1596~1615)初頭の1590年代末には始まっていたと考えられています。
[京焼]には[清水焼][御室焼]等のいくつかの分類がありますが、なかでも[粟田口焼]が最古の窯とされています。
元和(げんな)年間(1615~1624)或いは寛永元年(1624)に、瀬戸の陶工三文字屋九右衛門が京都三条大橋の東側にあたる粟田口に登り窯を築窯し、その子庄右衛門が、助右衛門および弟子・徳右衛門らと共に製陶したのが[粟田口焼]の起こりとされ、寛永年間(1624~44)にはこの登り窯による〈やきもの〉生産を行なっていたと考えられており、この三文字屋が始めた[粟田口焼]は、元禄(1688~1704)頃まで続いたようです。
ただし、その開窯は慶長年間(1596~1615)を降らないとする記録もあるようです。
本品は、五枚で一組の〔図替わりの向付〕となっています。
図柄には京都東山界隈の植生が反映されているのでしょう、つる草や水草などの野草が題材とされています。
往時は十客組、二十客組等で、様々な草花文様を施された器が多数あった中から選ばれ残されたものではないかと思われます。
器形は縁起の良い「結び文」型で、器の胎はかなり薄く、軽く柔らかな質感です。
画像からは器の表側の凹みはごく浅いように見えますが、向付として用いやすいよう程良く湾曲しています。
また、器を卓上から浮かせて支える瀟洒な造形の三足の高脚は、器の重量感を巧みに削ぎ、器に軽やかな雰囲気を醸し出しています。
絵文様はそれぞれが穏やかな雰囲気の草花文で、主に線描で描かれ、広い面を要し色が強く主張しそうな部位は輪郭線で表現する等、色の主張を抑えた表現となっています。
このため器に用いられている〈緑〉〈赤〉〈黄〉の量は僅かであるものの、その色味は霞むことなく印象的で、料理を盛り付けた際のよいアクセントとなっています。
また、釉の表面に現れている微塵貫入が器の肌合に一層柔らかな味を増し、余白の表情も実に豊かなものとなっています。
文様や釉薬にはしっとりとした質感が感じられ、野山から採ってきたばかりの瑞々しい草花を器に添えているかのような心にくい趣向の意匠となっています。
これらの工夫からは、器に盛られた料理の味わいを一層高め、主役である料理を引き立たせるための配慮が細部にまで行き届いていることが窺われます。
文様は特定の草花を表わしたものではないようですので、季節を問わず、使って、眺めて、[京焼]ならではの味わいを楽しむことが出来る逸品です。
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